美の逸品 
古き良き日本の美意識
~江戸小紋・型彫り~

遠目には無地に見えるほどの微細な模様。見る人の心に映るのは「上品」さでしょうか、それとも「粋」な趣でしょうか。簡素な図形の連なりの中に宿る、凛とした美と独特の表現力。あなたの目には、どのように映るでしょう。

江戸時代、藩の定め柄を模様にした裃(かみしも)が作られるようになったことが、江戸小紋の始まりといわれています。幕府が定めた奢侈(ぜいたく)禁止令によって、華やかな色や柄が抑えられたことから、一見すると無地のように見える精緻な文様が生まれました。控えめな中に美を宿すその意匠こそが、「江戸小紋」の原点といわれています。 「江戸小紋」という名称が正式に用いられるようになったのは、昭和30(1955)年に江戸小紋の染色家、小宮康助が重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定され、江戸時代から伝わる技術を受け継いだ小紋型染を指してこの名が定められました。以後、「京小紋」などと区別され、江戸小紋ならではの繊細で粋な模様の世界が確立されていきました。
江戸小紋は、細かな模様を彫り込んだ型紙を反物の上に置き、糊置きをしてから引き染めを行います。型を彫る職人と、染めを担う職人、双方に高度な技術が求められる、まさに伝統工芸の粋といえる染め物です。
武家の正装から生まれた最高位の模様「鮫(さめ)」「行儀(ぎょうぎ)」「通し(とおし)」は、数ある江戸小紋の中でも特に格式が高く、「江戸小紋三役(えどこもんさんやく)」と呼ばれる三つの代表的な柄です。

小紋三役
~鮫~

鮫小紋(さめこもん)は、まるで鮫(サメ)の肌のように、極めて小さな円形の文様が繊細に敷き詰められた伝統的な和柄です。遠目には無地のように見えながらも、近づくと一つひとつの円が整然と並ぶ様子が浮かび上がり、その緻密さと上品さが特徴です。鮫の皮は土の皮より厚く鎧のように身を守ってくれると言われ、厄除けや魔除けの意味を持ち、紀州の徳川藩の定め柄として使用されていました。 円は古来より「円満」「調和」「充足」を象徴する形とされ、鮫小紋にも人々の心の安定や、家庭・社会の円満を願う意味が込められています。そのため、格式の高さと静かな美を兼ね備えた柄として広く愛されてきました。

小紋三役
~行儀~

行儀(ぎょうぎ)は、斜め45度の角度に小さな点が整然と並ぶ、規則正しく美しい配列が特徴の伝統文様です。点が斜めに並ぶその姿は、まるで人が45度に身体を傾けて丁寧にお辞儀をしているようにも見えます。このことから「礼を尽くす」「品格を保つ」といった意味が込められ、まさに日本人の美徳である“礼節”を象徴する柄とされています。
仙台藩の伊達家の定め柄として使用されていました。 「行儀」という言葉自体にも“行いを正す”“礼儀を守る”という意味があり、この文様には、日々を丁寧に、そして相手を思いやる心を忘れないという願いが表れています。

小紋三役
~角通し~

角通しは、ごく小さな正方形(あるいは小点が格子状に交差するかたち)が縦横に規則正しく並ぶ文様です。遠目では無地に見え、間近で見ると細かな格子が浮かび上がる——そんな奥ゆかしさが特徴です。別名で「通し文様(通し小紋)」と呼ばれることもあります。「角通し」の名は、文字どおり“縦にも横にも筋(=筋目・筋道)が通って見える”ことに由来します。武家の礼装であった裃(かみしも)由来の「定め柄(藩ごとに定められた小紋)」としての意味合いもあり、整然と筋を立てる=礼節や筋目を通すというイメージが込められています。江戸時代、各藩は裃や衣服に用いる「定め柄」を持ち、外見で藩や家が判別できるようにしていました。角通しはその定め柄の一つで、信濃の戸田家の定め柄として使用されていました。

染めの美を支える職人の精緻な手わざ
~錐彫り~

型彫りには、「錐彫り」「突き彫り」「縞彫り」「引き彫り」「道具彫り」があり、表現する文様の性質によって使い分けられる多様な技法があります。それぞれの技法に応じて、用いる彫刻刀の形や彫り方にも独自の工夫が施されています。

小紋の型紙彫りの中で最も古い技法が「錐彫り(きりぼり)」です。
この技法で使う道具は、刃先が半円形になった細い錐刀(きりがたな)で、「丸錐」と「半錐」という2種類があります。さらに、刃先の角度によって浅いものと深いものがあり、模様によって使い分けます。
半円形の刃先をもつ彫刻刀を型地紙にそっと当て、刃をゆっくりと回転させながら小さな孔を一つひとつ丁寧に彫り抜いていく技法です。この無数の孔の集まりによって、繊細で美しい文様が浮かび上がります。
小紋の型を彫るときは、柿渋を塗った地紙(じがみ)を数枚重ねて、一度に同じ模様を彫り抜く「重ね彫(かさねぼり)」という方法を使います。大切なのは、一番下の紙まで模様がきれいに同じ形で抜けることです。 そのために、まず両ひじをしっかり固定します。右手で彫刀(ちょうこくとう)をまっすぐ下に向け、彫る場所を正確に定めます。位置が決まったら、左手の親指で刀を押さえ、残りの4本の指で刀を右に半回転させます。 こうすると、地紙に小さな丸い穴が開きます。このとき、ただ押して穴を開けると、刃を抜いたときに紙の裏がめくれてしまいます。そのため、押し切るのではなく、刀を回転させて切り取るようにすることが大切です。
鮫(さめ)・行儀(ぎょうぎ)・通し(とおし)といった、粒が整然と並ぶ連続模様では、すべての穴の向きや間隔を正確にそろえることが何より大切です。

染めの美を支える職人の精緻な手わざ
~突彫り・道具彫り~

突彫りは、鋭く磨き上げた小刀の刃先を地紙に垂直に突き立てながら前方へ押し進めて文様を彫り出す方法です。作業は、直径2〜3cmほどの穴が開いた穴板(あないた)と呼ばれる作業台の上で行われます。穴板は、刃が地紙を貫通しても刃先を傷めないよう工夫された板で、その上に数枚重ねた地紙を置き、彫刻作業を進めます。
使用する小刀は、刃先を1〜2mmほどに鋭く研ぎ澄ませた特殊な刃物で、わずかな力加減の違いでも刃が折れてしまうほど繊細です。職人は体を安定させて作業台に向かい、刃先を地紙に垂直に突き立て、上下に小刻みに動かしながら前方へ押し進めていくという独特の動作を繰り返します。彫り口には、手仕事ならではのわずかな揺らぎや変化が見られ、その繊細な不均一さが独特の風合いを生み出します その線の一つひとつには、機械では決して再現できない「手彫りの味わい」と「ぬくもり」が感じられます。 この微妙な揺れこそが、突彫りによる型紙の最大の魅力であり、見る人に静かな温かさと深い美しさを伝えてくれるのです。 もう一方の手(通常は左手)は、彫り口の状態や地紙の抵抗を感じ取りながら、微妙な力加減を調整します。 こうした繊細な感覚と高度な技術の積み重ねによって、細やかで正確な文様が彫り上げられていくのです。

道具彫りは錐彫りのように単純な刃先の彫刻刀を用いる方法とは異なり、この技法では、刃そのものの形が文様をかたどった特別な彫刻刀を使用します。たとえば、刃先が花・亀甲・菱などの形に作られており、一つひとの刃の押し当てがそのまま文様のひとつとなります。したがって、文様の種類や大きさに応じて、専用の刃物を一つひとつ作り分ける必要があります。ひとつの文様を彫る場合にも、単純にその形の刃を使うのではなく様々な形の刃を組み合わせて彫っていくことで複雑な模様を彫り出していきます。そのためには、道具づくりと型彫り、その両方の技術が高度に調和してはじめて、繊細で美しく、均整のとれた文様をもつ上質な伊勢型紙が生まれます。

染めの美を支える職人の精緻な手わざ
~縞彫り~

細かな縞柄や彫り残しの少ない型紙は、型付け(染色)の際に紙の縞部分が動きやすく不安定になるため、それをしっかりと固定する目的で、「糸入れ」という繊細な補強の加工が行われます。
糸入れを行う型紙は、彫刻を始める前に薄い竹べらを使って地紙を丁寧に剥がし、あらかじめ二枚に分けておきます。 文様を彫り上げた後、二枚に分けた地紙の間に生糸(絹糸)を、文様の縞に対して横方向または斜め方向に何本か渡して張り込む作業を行います。 このとき、糸がずれないように慎重に位置を整え、柿渋を用いて上下の地紙を再び貼り合わせて固定します。細やかに彫られた二枚の地紙を、わずかなずれもなく一枚に戻すためには、高度な熟練と集中力が求められます。 糸入れは、型紙の強度を保ちながら繊細な縞模様を支えるための重要な技法です。この糸入れの精度が確かでなければ、いかに見事な縞彫りであっても、その美しさや真価を十分に発揮することはできません。したがって、糸入れの技と縞彫りの技は不可分の関係にあり、双方の熟練が揃ってこそ、真に優れた型紙が生まれるのです。

縞の名前ですが、3cm巾に10本以下の縞が棒縞筋、10本・大名筋、12本・万筋、14本・上万筋、16本・極万筋、18本・間万筋、19本・並毛万筋、
20本・毛万筋、21本・極毛万筋、22本・似多利(にたり)筋、23本・譜立割(ふたつわり)筋、24本・極譜立割筋、そして24本以上は微塵(みじん)筋と呼ばれています。